多くの「セコすぎる」疑惑・不祥事で窮地に立たされている舛添要一都知事ですが、都知事になっているからには、選挙を勝ち抜いてきているわけです。
舛添要一氏が都知事選挙に挑んだのは、2016年現在で二回となっています。
最初の挑戦は、1999(平成11)年4月11日に行われた都知事選です。都知事だった青島幸男氏の任期満了に伴って、統一地方選の一環として実施されています。
保守系有力候補として、元国連の事務次長で自民党本部及び公明党の推薦を得た明石康氏、自民党都連のそれぞれ一部が支持する、柿澤弘治氏、舛添要一氏、石原慎太郎氏の都合4者が出馬。
そして、民主党の国会議員だった鳩山兄弟の弟、鳩山邦夫氏も出馬する、乱戦気味の選挙となりました。
選挙を制したのは、その後3選を果たすことになる石原慎太郎氏で、次点となる鳩山邦夫氏の倍近くの得票を得ての当選となりました。
舛添要一氏は、836,104票を得て、3番目に多い得票を得ていました。
都知事選の落選後、舛添要一氏は参議院選挙の比例区に自民党から立候補し、参議院議員となり、厚生労働大臣を務めることになりますが、自民党が下野すると、やがて離党し、新党改革の代表に就任します。
3年余り代表を務めますが、参議院選挙に不出馬を表明し、代表からも降りることとなりました。
都知事を目指しての二度目の挑戦は、2014(平成26)年2月9日に行われた都知事選です。石原慎太郎氏から後継指名を受ける形で都知事に就任していた猪瀬直樹氏が、不祥事で辞任したのを受けて行われた選挙となっています。
舛添要一氏の他、内閣総理大臣を務めた経験のある細川護煕氏、日本弁護士連合会の会長を務めた宇都宮健児氏、元航空幕僚長の田母神俊雄らが立候補。
自民党内では、舛添要一氏を推すにあたっては、自民党下野後の離党に至る経緯があまりにもひどかった、ということから反対論もあったようですが、最終的には支持する形となったそうです。
結果は、舛添要一氏が、次点となる宇都宮 健児氏の倍以上の得票となる、2,112,979票での圧勝となりました。
一連の「セコすぎる」疑惑・不祥事が発覚するのは、選挙から2年と2カ月ほど経過した頃となっています。
次の都知事選挙は、いつ執り行われることになりましょうか。